男子フィギュアスケートのプリンス羽生結弦さん。
数々の大会で優勝し、オリンピックでは2度の金メダルを獲得している言わずと知れた実力者です。
そんな羽生結弦さんの家族構成について調べてみました。
目次
羽生結弦の家族構成は4人

まず、羽生結弦さんの家族構成はこちらです。
- 父親:羽生秀利さん
- 母親:羽生由美さん
- 姉:羽生沙耶さん(4歳年上)
- 羽生結弦さん(本人)
それではお父さんから順番にご紹介していきます。
【顔画像】羽生結弦の父親は中学の校長先生

羽生結弦さんの父親、羽生秀利さんは宮城県の公立学校の教師をしているそうです。
2014年までは湊中学校に勤務し、その後、利府町立しらかし台中学校、教頭就任。
2016年に塩釜市立第三中学校に移動し、校長先生に就任しました。
(引用元:塩篭私立第三中学校学校要覧)
担当科目は数学で、野球部の顧問をされていたそうです。
【羽生結弦】父親との仲良しエピソード
- 名付け親は父親
- 羽生結弦さんに野球をやらせたかった
- レッスンの送り迎えは父親
- フィギュアスケートが嫌になった時にかけた言葉
- 父親の教育方針
- 金メダルを取った時に言った言葉
①名付け親は父親

羽生結弦さんの名付け親は父親だそうです。
『結弦』を『ゆづる』と読むのは難しいですよね。
『弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい』
という父親の願いが込められているそうです。
まさにその通りに成長してますよね。
②羽生結弦さんに野球をやらせたかった

(引用元:Twitter)
羽生結弦さんの父親は野球部の顧問を務めるなど、野球が好きだそうです。
そのため、
『本当はゆづに野球をやらせたかった』
(引用元:「週刊現代」2015年)
と願っていたようです。
そんな父親の影響で、羽生結弦さんは幼いころからボール遊びが好きで、かわいらしい容姿とは違い、わんぱく少年だったそう。
しかし、喘息持ちの羽生結弦さんは激しい運動をすると苦しくなっていたとのこと。
喘息を克服するため、ホコリの少ない屋内でもできるスケートを始めたそうです。
③レッスンの送り迎えは父親
(引用元:東海ウォーカー)
幼いころからフィギュアスケートのレッスンに通っていた羽生結弦さん。
レッスンは朝早くから深夜にまで及ぶこともあったそうです。
そんな羽生結弦さんの送り迎えをしていたのが父親でした。
羽生結弦さんのレッスンを全力でサポートする良き父親の姿が見えますね。
④フィギュアスケートが嫌になった時にかけた言葉
羽生結弦さんは、小学校3,4年生の時にフィギュアスケートが嫌になってしまった時期があったようです。
そんな時に父親が羽生結弦さんにかけた言葉が、
『野球の方がお金がかからないし、スケートが嫌ならやめてもいいんだぞ』
だそうです。
この言葉に、羽生結弦さんは自分を見つめ直し、フィギュアスケートを続けていく決意をしたそうです。
頭ごなしに叱るのではなく、子供の意思を尊重する素晴らしい父親ですね。
⑤父親の教育方針
羽生結弦さんが父親からかけられた言葉で、今でも大切にしている言葉があるそうです。
『どんなにフィギュアの練習が大変だったとしても、勉強だけは続けなさい。
将来は一流の選手である前に、一流の社会人にあってほしい。』
教師である父親の教育方針が見えますね。
その言葉通り、羽生結弦さんは遠征先でも参考書などを持ち込み、勉強に励んでいたようです。
そのおかげで、フィギュアスケートで素晴らしい結果を出しながら、学校でも常に優秀な成績を修めていたそうです。
⑥金メダルを取った時に言った言葉
(引用元:asahi)
羽生結弦さんの父親はメディアにはほとんど登場しません。
『両親が表に出ないのは、頑張っているのは本人であって、親は関係ないという考えから』
(引用元:「週刊現代」2015年)
なんだとか。
また、父親は羽生結弦さんにスケートついては、ほとんど口出ししなかったそうです。
『ゆづに「もっとがんばれ」「もっと練習しろ」とは言わず、一歩下がって「お、がんばってるな」と声をかけて見守る
(引用元:「週刊現代」2015年)
というスタンスだったそう。
決して前に出ることはなく、控えめながらしっかりと羽生結弦さんを支えている息子想いの父親ですね。
【顔画像】羽生結弦は母親にそっくり!年齢は?

羽生結弦さんの母親、羽生由美さんの年齢は公開されていません。
ただ、羽生結弦さんの年齢が27歳(北京五輪時点)で、4歳年上の姉がいる事から50代だと思われます。
職業は専業主婦と言われていますが、以前はパートを掛け持ちされていたようです。
- 百貨店の紳士服売り場での主任
- クリーニング店
フィギュアスケートはお金がかかるスポーツです。
お父さんは公務員ですが、お母さんも精一杯のサポートをしてこられたようです。
【羽生結弦】母親との仲良しエピソード
- 衣装は母親の手作り
- 海外の練習へ母親も同行
- 金メダルを最初にかけたのは母親
- CMで母親へ感謝の思いを語る
①衣装は母親の手作り

羽生結弦さんのフィギュアスケートの衣装は、なんと母親が手作りしていたそうです。
フィギュアスケートはお金のかかるスポーツなので、家族の協力なしではできません。父親は公務員で、貧しいわけではないけどすごくお金持ちというわけでもない。
節約のために、3年前まで母親が結弦の衣装を手作りしていました。
(引用元:週刊現代2015年1月31日号)
こちらが、羽生結弦さんの衣装を手作りをしているお母さんの様子です。
(画像引用:You Tube)
(画像引用:You Tube)
母親は衣装作るときの心境について、
『衣装作るときにやっぱり気持ちが入るというか、
それで頑張ってもらえればいいなと思います、毎回。』
と語っています。
この衣装を着用して演技をしている羽生結弦さんはこちら。
(画像引用:sponichi.co.jp)
デザインもサイズも羽生結弦さんにぴったりですね。
②海外の練習には母親も同行
(画像引用:news-postseven)
羽生結弦さんは高校3年生の時に、ブライアン・オーサー氏に師事するため練習拠点をカナダのトロントへ移しました。
その時に同行したのが母親です。
母親は羽生結弦さんのために栄養管理やメンタルコントロールについて学び、慣れない海外生活を徹底的にサポートしました。

また、ブライアン・オーサー氏にコーチを依頼したのは母親だと言われています。
ブライアン・オーサー氏は韓国のキム・ヨナさんが金メダルを獲得した時のコーチとして知られています。
当時の羽生結弦さんはまだオリンピックの出場できるか微妙な状況でした。
それでも、ブライアン・オーサー氏が羽生結弦さんのコーチを引き受けたのは母親の熱意に負けたからなんだとか。

そして、ブライアン・オーサー氏の指導のもと羽生結弦さんはソチオリンピックで金メダルを獲得します。
息子を思う母親の熱意には圧倒されますね。
③金メダルを最初に母親にかける
(画像引用:hint-pot.jp)
羽生結弦さんが平昌オリンピックで金メダルを獲った際、最初に母親に金メダルをかけたそうです。
その後のインタビューでも羽生結弦さんは、
『母はそばにいてくれるだけで十分な存在』
と語っています。
世の中の母親が聞いたら飛び上がって喜びそうな発言ですね。
羽生結弦さんは、心から母親に感謝しているのでしょうね。
④CMで母親への感謝の思いを語る
(引用元:youtube)
羽生結弦さんは、P&GのCM『お母さん、ありがとう』の中で、母親に感謝の思いを語っています。
『仙台からトロントへ拠点を移したとき、もちろん不安もありました。
母も一緒に来てくれて、食材を探してくれて和食を作ってくれたり、練習に専念できるように毎日洗濯をしてくれたり、当たり前のように僕の夢を後押ししてくれているので、すごく感謝しています。』
そしてCMの最後には、
お母さんありがとう
と、感謝の気持ちを語りました。
また、他にもお母さんについて次のように語っています。
- 意志の強さと頑固な性格が(自分と)よく似ている
- いつもそばにいて、スケートに集中できる環境を整えてくれる心強い存在
- 何でも言い合えるし、自分が自分でいられる。
羽生結弦さんがスケートに集中できるのは、母親のサポートがあるからこそなんでしょうね。
【顔画像】羽生結弦の姉の職業はスケートリンクの職員
羽生結弦さんの姉は、4歳年上で『羽生さや』さんです。
SNS上では「沙耶(さや)」だとも言われているようですが、公式な情報ではありません。
お姉さんの小さい頃の写真はこちらです。

左側が小さい頃の羽生結弦さん、右側が姉のさやさんです。
すっきりとした顔立ちが似ていますね。
【羽生結弦】姉の職業はアイスリンク職員
お姉さんは2015年時点ではアイスリンク仙台の職員として働いていた事がわかっています。
4歳上の姉は、羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の職員として働いている。
(引用元:「週刊現代」2015年)
【羽生結弦】姉は結婚してる?
2022年現在ではお姉さんは31歳位ですが、結婚はされているのでしょうか。
2018年3月時点では、平昌オリンピックから帰宅した羽生結弦さんを、お父さんとお姉さんが自宅で待っていたそうです。
この日は、家族4人水入らずの“祝勝会”を開いたみたいです。深夜まで、積もる話をしていたのでしょう
(引用元:「女性自身」2018年3月)
この様子ですと、お姉さんは結婚されていないと思われますが、その後の詳しい情報はありません。
【羽生結弦】姉との仲良しエピソード
- フィギュアスケートを始めたきっかけは姉
- フィギュアスケートの道を弟に譲る
①フィギュアスケートを始めたきっかけは姉

羽生結弦さんがスケートを始めたのは4歳の時で、姉が通うフィギュアスケート教室についていったのがきっかけでした。
もともとは持病の喘息を治すためでしたが、姉がスケートをしているのを見て
『お姉ちゃんにできるなら僕もできる!』
と言って、転んでもスピンやジャンプに挑戦したそうです。
羽生結弦さんは小さなころから不屈の精神を持ち合わせていたのですね。
ちなみに、羽生結弦さんにダブルアクセルを教えたのは姉だそうです。
②フィギュアスケートの道を弟に譲る
フィギュアスケートは非常にお金のかかるスポーツです。
一般家庭の羽生家には厳しく、羽生結弦さんが小学3,4年生の頃2人で競技を続けることが難しい状況になったことがあるそうです。
そのような状況下で、羽生結弦さんは家族を気遣い、
『僕がフィギュアスケートをやめる』
と、申し出たそう。
それを聞いた姉が、
『結弦がやめるくらいなら、私がやめる』
と、強く主張したとか。
その後姉は高校までフィギュアスケートを続けましたが、高校卒業後はフィギュアスケートをやめ弟にその道を譲りました。
そして、大学進学も諦め就職したと言われています。
今の羽生結弦さんの活躍を見て、姉も嬉しいでしょうね。
【羽生結弦】プロフィール

- 誕生日:1994年12月7日
- 出身地:宮城県仙台市泉区
- 血液型:B型
まとめ
常に新たな大技に挑戦し続ける羽生結弦さん。
その原動力には家族の懸命なサポートがあるからこそなのかもしれませんね。
今後の羽生結弦さんの活躍からますます目が離せませんね。












